2016年12月13日火曜日

【経営とアート】2020年オリンピック文化プログラムに必要なこと

オリンピックには文化プログラムなるものが同時開催されることをご存知でしょうか?

要するに芸術文化の企画イベントなのですが、世界の注目が集まるなかでそういったものを通して、スポーツ力(?)と共に文化力の高さを国内外へアピールするなどの目的があります。
(以下URLよりページ参照 http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/300/254256.html

オリンピック憲章にもちょっと難しく掲げられてます。

1-
OCOGは、文化的ないくつかのイベントを計画し、プログラムを作成しなければならない。プログラムはIOC理事会に提出し事前に承認を得なければならない。


2-
文化プログラムは、オリンピック競技大会の参加者とその他の観客との平和でなごやかな関係、相互理解および友情を増進するのに役立つものでなければならない。

規則44付属細則
1-
文化プログラムには下記のものが含まれていなければならない
  • 1.1 オリンピック村で開催される文化的行事で、人類の文化の普遍性と多様性を象徴するもの。
  • 1.2 おなじ目的をもったその他の行事で、主として開催都市で開催され、一定数の座席がIOCにより資格認定された参加者のために無料で確保されているもの。
2- 文化プログラムは、少なくともオリンピック村がひらかれている全期間を網羅したものでなければならない。
(以上、オリンピック憲章 44.文化プログラムより http://www.joc.or.jp/olympism/charter/chapter5/44.html



本基本方針では,文化芸術資源で未来をつくることを目指 し,我が国が目指す「文化芸術立国の姿」として以下の四つを挙げている。 
① あらゆる人々が鑑賞や創作に参加できる機会がある
② 2020 年東京大会を契機とする文化プログラムが全国展開されている 
③ 被災地の復興の姿をはじめ,全国津々浦々から地域の文化芸術の魅力を発信 している 
④ 文化芸術関係の新たな雇用や産業が現在よりも大幅に創出されている
(以上、文化プログラムの実施に向けた文化庁の基本構想 よりhttp://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2015071701_besshi1.pdf


これらを獲得するために、ロンドン大会文化プログラムを真似て4年前からスケジュールとして取り組まれています。
開催に向けてあらゆることがすでに取り組まれ、実は今年11月より開始されています。

今後選定された各事業が様々な地域によって進行されていくでしょう。

かしこれらの文化事業というものが即物的に効果を発するものばかりではないことは、芸術文化の事業を行う上で必ず捉えておかなければならないことでもあります。

どんな事業や企画でも、それが成されるその時までは盛り上がりを見せて取り組まれ開催されるでしょう。
しかし次に大切なことは、それらの正確な検証作業です。やって終わりが文化になるわけがない。

そこで最も効果的なものが動画によるアーカイブの制作です。
開催に至るまでの経過はもちろん、特に芸術文化による企画であればこそ開催中の空気感や来場者の声など、細かな部分での情報の収集が可能となります。

クラウドシステムの向上によって、それらのアーカイブは必ずしもハード保存する必要はなくなり、継続的でどこからでも参照可能な動画共有サイトの活用(公開、非公開含めて)もできます。

もちろん開催までの広告的な意味での動画の制作も可能でしょう。
しかしそれだけを目的としてしまった場合、必要以上のクオリティを求めてしまいコストがかかって継続的な制作ができません。
そして上記の意味において動画制作の意義は必ずしも高クオリティで広告的な活用のされ方で縛られるものではなくなっていくでしょう。

僕が今行っていることを一言で言うと、「中スペック機材による中クオリティ動画を低コストで制作」することです。
このような状況が実際におこってきた場合、その需要は必ずあると考えています。

事業としての継続的な契約を考えるなら、その相手は公的機関もしくはそれに準ずる団体であることが常套です。
しかしそういった組織には内部で動画制作を行うだけの環境が既にそろっているものが多いでしょう。
その場合僕らの出る幕はありません。

いかにして独自のカメラアイのような切込み方を考え、自分たちの作る動画に付加価値をつけ、
パッケージングすることができるのか、模索している今日この頃なのです。

一つ考えていることは、そういった検証作業自体も担うことのできるリサーチ力も兼ねた動画制作サポートということはどうだろう…とも思うのですが、そのためには実績を作っていかなければ信用がたちません。

来年度、もしかしたら法人化するかもしれないので、事業の数年後を考えて計画をしていきたいと思います。
どんなことでもいいので、僕に興味を持って、力を貸して頂ける方がいらっしゃいましたら、是非ともお知恵を拝借したいものです。

2016年10月6日木曜日

【アート】Yuri Pattison、長島有里枝、文化展に向けて

今月10月号の美術手帖に取り上げられた展示の内、2つを実際に見に行っていた。

一つはロンドンの Chisenhale Gallery で開催されたユリ・パティソンの個展。
ポスト・インターネット世代の旗手として紹介されている。



あの展示室内に入った瞬間の、何か爬虫類系の水槽の中に入ったような感覚を思い出す。

室内右手奥に配置されていた《ユーザー、スペースのための半避難所》には観葉植物が構成されていたり、エンドレスで流れる環境デザインイメージのような動画などが組み合わされていたり。

ただ僕が伺った際は、丁度作家同士の交流会のような時間だったのか十数人の人々が作品空間の中の椅子に座って談笑していたり、テーブルにコーヒーカップを置いていたりしていて、美術手帖で紹介されているような「生気のない環境」というよりも、そんな空間はむしろ当たり前でもうそこに慣れた人々が何気なく「表面的な無機を受け入れて生活する」ような空間という感じだった。

まだ中々その輪へ声をかけるほどの勇気はなかったのだが、それでもその出くわした状況に更なる面白味を感じる良い機会だったと思う。

もう一つの展示は、神戸のデザイン・クリエイティブセンターで開催された、長島有里枝の『縫うこと、着ること、語ること。』展だった。


何枚か男性の写真も展示されていることに美術手帖のインタビュアーも触れているのだが、そこは僕も気になっていたところだった。

あれだけ女性や母親などのテーマ性が感じられるなかでの敢えてのの男となると、そこには少々居心地の悪さを感じざるを得ない部分も見え隠れするのではないかと思うのだが、写真に写る彼はそうではないのだ。

インタビューに対して作家は答える。
「写真をやっていると男女関係なく、どうしても撮りたいと思う人に出会うんですが、まさにそれで。…展示のアウトラインはあったけれど、こういう偶然性とか、自分の感情の経時変化を排除したくないと思って、男性や風景も撮り始め、展示に入れたのです」

作ってるとき、特にある展示がもうすでに決まっている状態である程度のプランを持っている際に出くわすこの感覚にどう対処すべきか、けっこう悩みどころではあると思う。

ある意味めちゃくちゃ楽しい瞬間であるけど、それをむやみやたらにくっ付けるだけでは展示にならない。それを主題とした上での提示や文脈づくりである以外は。

今月の21、22、23日に遠州横須賀街道ちっちゃな文化展に出展させて頂く。/http://kasaiya5.web.fc2.com/

制作に向けて明後日から3日間、現地で滞在して取材や実験を今年も行おうと思っている。
文化展の中でもスポットライトの当たる場所を有難いことに頂いたこともあり、感覚を鋭くして当たりたい。

ただ現地での制作という最もレジデンスらしい作品は、正直昨年のものを超えることは僕にはできないだろう。

逆に言えば最も正統派で王道なアプローチによるものだった。
今年はそこへ挑戦的な色をもう少し加えたいと思っている。
軽いプランはあるが、どうなるかはまだ分からない。

明日からの滞在で出会う魅力的な何者かにどう対処するのか、一つのプロセスを今回は見つめてみようとも思う。


前回出展作品《Replaying》

詳しくはWebサイトへ↓
http://tanisanchi.jimdo.com/

2016年7月17日日曜日

【経営】しなやかに、丈夫に、生きていく Bambrook

一年前の6月に起ち上げたBambrookは、映像制作と出張ワークショップサービスの事業から始まりました。

それは当時携わっていた静岡大学テレビジョンでの動画制作や、静岡県立美術館実技室の助手のバイトが契機になっています。

静岡大学テレビジョン
http://sutv.shizuoka.ac.jp/
静岡県立美術館http://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/

美術館での、実技室インストラクターであり小説家の吉村さんとの出逢いをきっかけに、2人で本格的に事業所として立ち上げを決意しました。

次第にチラシのデザインを請け負うことも増え、今ではそれに加えてプロジェクションデザイン(プロジェクターの映像投影による空間デザイン)の仕事も行うようになってきました。

Bambrookhttp://bambrook.jimdo.com/

「デザイン」、「ワークショップ」は出身大学が教育美術であったことからスキルとして身に付き、「プロジェクションデザイン」は作家としての活動が元になっています。「映像制作」は静岡大学テレビジョンでのバイトを通じて独学ながら手順を学んでいきました。

こうして考えるとBambrookのこれら各事業の関連性には、明確な必然性というのは無いわけです。
一つのビジョンの中で進められたものではありません。

ただ一つ言えることは、谷正輝という「個人の持っている素材を使ってできること」が仕事にならないかと、必死になって模索した結果であります。

しかし結果的に「デザイン」、「ワークショップ」、「映像制作」の3つは、仕事をつくることの土台作りにとても効果的な要素ばかりではないかと、現在では思うのです。


1.デザイン

デザインでは、グラフィックであれプロジェクションであれ、とどのつまりは『魅了』させることが実践されます。

どんな仕事であっても、その中には人を魅了させる核が必ずあるはずです。
デザインはその核をあぶり出し、クールに魅せることだと考えています。

方法はビジュアルであるかもしれないし、構造であるかもしれないし、関係性であるかもしれません。
様々な形で仕事をクールに魅せることは可能です。

「魅了」させることを実践することで、自分たちのやっていることへ誇りをもち、顧客の興味を惹かせ、新たな仲間の眼差しも得ることができるでしょう。




2.ワークショップ

ワークショップでは、『実行力』が実践されます。

まずは内容を考えたり当日の計画をしたりなどプランニングはもちろんのこと、ワークショップに参加する子どもの反応などを「予測」することが必要とされます。

そして当日開催時での進行や対応などの、「対人処理」が実践されます。

開催後にはその日の反省は必ず行います。
ワークショップであれ授業であれ、必ず思った通り100%良いものができることはありません。

予測を超えた表れが起こったのであれば、それを含めた「再考察」を行わなくてはなりません。




3.映像制作

映像制作では、様々な捉え方があるとは思いますが、やはり主に『記録』が実践されます。

記録された映像で最も多く活用されるのは「広告」でしょう。
何かを行う、何かを実践するにしても、それを認知してくれる人たちを集めなければ孤独な一人遊びです。

または「プレゼン」を行う時に効果的な資料としての活用が考えられます。
今後はインターネットでの動画メディアは更なる広がりを見せるでしょう。動画さえ作っておけば、いつでもどこでもスマホ片手に自分の仕事や活動をプレゼンすることも可能なのです。

そしてyoutubeなどの動画サイトへアップした映像は半永久的に「アーカイブ」として残しておくことができます。
自分たちの行ってきた仕事や活動などを、大きなサイクルで見た時には、いつかそのアーカイブを見返して再考察しなければ前に進めない日がやってくるはずです。






以上、1.デザイン、2.ワークショップ、3.映像制作から抽出されることとは『魅了』、『実行力』、『記録』という要素だと考えています。

これに関わることによって、次第に「仕事をつくる」ことを現実化していく力がついていくのではないでしょうか。
そう考えた時、本当のBambrookの正体というものが見えてきたような気がするのです。

それは、「個人事業の集合体」ではないかと。

集合した時点で個人事業ではないのではないかと、言葉の定義を元に問いかけられると困るのですが、つまりは「個人が持っている素材=仕事のタネの芽を出すための場」がBambrookなのではないかと思うのです。

Bambrookは、「Bamboo(竹)」と「brook(小川)」を掛け合わせた造語です。
Webサイトでは紹介の言葉として、

「生きる」こととは何なのか。
その術と意味を、私たちは想像し認識し、意志を抱いて選択していきます。
そして他者と出逢い、受け止めつつ再考察し、更に進んでいきます。
しなやかに、丈夫に、この時代を生きていきます。

と載せています。
最後の一文の「しなやかに、丈夫に、この時代を生きていきます」という言葉が、端的に全てを表していたのかもしれません。


つまり『しなやかに』とは、個人が持っている素材=仕事のタネが、Bambrook自体を多様な事業所として未来に生き残る術を増やしていくことを意味します。

『丈夫に』は、共にその花を開かせ輝かせることであり、一事業として継続的にしっかりと運営されることです。

『生きていく』とはそのままの意味で、それまでの間はそこにある土(今は僕の映像制作やワークショップやデザインなどの仕事)で根を広げ、育っていくこと、今を生活して生き延びることです。


総じて考えると、Bambrookには共に花を咲かせる仲間が必要なのです。
今はたまたま僕と吉村さん、それぞれのスキルが集まって、デザイン、映像制作、ワークショップが行われているということです。

今の時代ではどこか安定した企業へ就職することが仕事の全てかのように、みんな血眼になって内定を勝ち取ろうと必死になることが当たり前になっています。

大企業への就職自体を否定しているのではありません。
ただそれだけが方法ではないということについて、僕は一つの可能性を実現する場を提示すると共に、自分自身が生き残る方法を仲間からも貰おうという手段を実践してみようと思っているのです。

このような身の立て方は、企業の終身雇用が崩壊した今の時代、仕事をするということの選択肢として、そうではない他の何かとなり得ると思うのです。


開業から1年。
自分たちの行っていることがどのような展開をしていくのか、またはどのような意味をもつのか、考えましたが無理でした。

意味なんてありません。
僕はただこの時代で生き続けるための術を、周りから学ばせてもらいながら、自分の最も得意とすることで仕事にしていくことを望むだけです。

そして同じように思う仲間と共に、支え支えられながら生きることを望むだけなのです。

2016年7月11日月曜日

【アート】芸術の余白と京都駅のホーム、来年の個展にむけて。

自分の次なる段階には、ある種の余白が必要だということは分かっていました。ただ修了制作以来、自分の手にあまるものは絶対に許さない責任感が先行し、その余白を自分がどう受け止めるかが問題でもありました。

そんな中で李禹煥の『余白の芸術』を読みながら京都へ。
 ちょっとしたミーティングと京都芸術センターへ行くために。

道中、ホームで電車を待っていると、なるほど実はこれでいいのでは? という感覚がありました。

京都駅のホームは混み合います。
 電車を待つホームの列に並んでる際、みんな列のつながりを意識してか、それとも横入りされるのが嫌からか、全く隙間を空けずに並ぶのです。


こういう時、僕は時々前の人と少し間を空けて立ってみます。
 そうすると、ホームを突っ切って歩いている人は、その間を見つけて通って行くのです。

間がない列がホームにあると、なかなか人の流れも悪くなり、列自体の形もバラついてしまいます。
 もしかしたらホームを歩く人は、踵を返して反対方向へ向かうかもしれません。


この間を余白と見たらどうでしょう。
 そして列を作品としましょう。

人は列の間をみつけると、逆にそこへ吸い寄せられるように向かい、そして通過していきます。
 その時、列には大きな歪みや乱れは起きません。

作品に余白があれば、逆にそれは求心的となり、そこを他者が通過する際には作品に大きな摩擦と乱れが発生することもありません。

この余白の方法論として、「身体」、「時間」、「他者/環境」、そして「試行の半永続」が今のところ考えられます。
最後の「試行の半永続」は修了作品展時に行っていたもので、おそらく一つはこの追及に自分がすべき方向性があるようにも思われます。

《鉄塔Ⅰ》(2015)は、修了制作展(といっても作品だけ出して休学)に出展したもので、その際表彰された作品へ、パフォーマンスとして自分自身が関わり、更にそれを撮影しておいたり、パフォーマンスの軌跡となるものを後に見返したりしました。
そこから次なる作品や行為への手がかりを見出し、形にしていきます。




ここではかなり意図的に「私」を分離し、外側へ外側へいくつもいくつも、客体化を促しその瞬間にまた別の「私」となるような行為を繰り返してきました。
平たく見れば作品を作る都度、自分自身の文脈づくりをストーリーテリングのように書き出しているような、単純なことのようにも思えます。

これがしたいことなのか、その時には分からなかったし今でも分からないのですが、とりあえずそれからしばらくたってからの制作には、かつて見出そうともしていた余白がまた見えなくなっていました。

しかしそれから1年が経った今では、簡単に言うと、次元の違う、目に見えないもの感じられないものを確実な形にアウトプットすることもできないので仮の形に目の前に表す、ということをしているわけです。
それが目の前に現れた瞬間、それは直ちに現実世界と融合し、その仮設性と実体性を侵食し合いながら、あらたな実体として現れるのです。
(詳しくは2016/6/13〈「仮設」を探る。〉へ)

この新たな実体として現れる一歩手前の瞬間を、他者へ委ねてみることも考えてみました。
来年、2017年3月下旬に、静岡のノア・ギャラリーさんで個展を開催する予定です。
【ノア・ギャラリー】http://noah-design.net/noahgallery/

要するにその際、他の身体表現者との関わりを持った中では、この仮設性と実体性がどういった融合を見せるのかを感じたいのです。

「その日のための試行 For the day」↓



まだどういったものになっていくのか、それをどこまで静岡という地で行うにあたってプロデュースする必要があるのか、これから作り上げていかなければなりません。

また仮設性と実体性がうまく侵食していくその場を作るためには、まだまだ行為も素材もしっかりと捉える必要があると感じています。
それは李禹煥の「出会う」瞬間のための抜き差しならぬ行為と素材の選定という、明確な意思をもちつつも、最終的には「理念の実現」というコンテクストの否定という、受動と能動を兼ね備えた状況への開放と意を同じくします。

でもそれがどんなものになるのか、今の僕にはまだ分かりません。
来年の3月までにはいくつもの試行と共に、その時点でのあらましを見せようと思っています。

ただ一つ言えることは、作る度に感じる、まるで喉に刺さった小骨のような何かが、ようやく取れたような気がするのです。

来月8月には1ヵ月ほどイギリスへ行ってこようと思います。
そこでまた色んな意味で打ちのめされるのでしょうが、それも含めて、学外初の個展となる3月下旬へ向けて全力を投じようと思うのです。

2016年6月18日土曜日

【アートと経営】「静岡アートネイバー」をやりたい。

yotubeで「静岡 アート」と検索すると、約21,800件の動画がリストアップされます。

同様に各都道府県とアートで検索してみた結果、地方都市の中では11位の動画数でした。
47都道府県で考えれば、結構いい数字だと思います。

これは静岡でのアートに関する動画の制作者と受容者の潜在性が高いことを意味しています。
ということで本題↓




「シズオカ アート ネイバー」
http://shizuoka-art-neighbor.jimdo.com/


という、地域コミット型の芸術文化情報サイトをやってみたいのです。
簡単な形には上記のように作ってはみたのです。

本来やりたい内容は以下のものなのです。今のところは。



【内容】

  ・誰でも投稿可能な動画のソーシャルメディア。(媒体はyoutube)

   ・ソーシャルメディア + マルチメディア + ミドルメディア 。要はSNS型の動画のまとめサイト。

   ・「地方の芸術的財産の確立」、「地方による情報の循環」、「地方芸術文化の文脈化」、を目的とする。(現代、過去にかかわらず)

   ・  youtube    からの投稿をリンクしてはめ込む。

  ・形態は動画のミドルメディア(まとめサイト)。その中にギャラリーやアーティストのリンク集、またはコラム集などの、関連媒体が入っていくようにする。


   


【必要性】


  ・美術館の今後、現代アートの様相、生き残るためには地元のアーカイブを掘り起こしたり、先の世のために、そのアーカイブを作ること。 そのためには自由投稿型にして、美術史という制度化された中では取り零されそうな活動についても保存されるよう、掲載自体に規制はかけるべきではない。


  ・首都圏での活動は、その絶対的な人口の差から、コアなファンだけでも成立してしまう。しかしそれはコミュニティの狭さを露見する。 地方都市だからこそ、現地での情報を直に汲み上げ、それを地方の中に対してまずは流通するものを目的とすべき。実は相対的にこれ自身も「地方」というコミュニティの狭さを同時に意味する。しかし来るべき静岡の芸術文化の概観の研究がなされる際の必要性として、このアーカイブする動画の機能は必要不可欠にもなるだろう。そうなった際の地方都市として、静岡は他の地方に先駆けて一つの土台としての「地方」がその独自性の中で、都市自らが自覚した情報としてそれらを他者(日本全国、全世界)へと関係させるだけの文脈の強さと、市民自らが自覚する文化力を持つことになるだろう。


  ・2020年、オリンピック文化プログラムに向けて多くの取り組みがなされるだろうが、その後必要となるのが検証作業である。動画による公告はもちろん、オリンピック以降の芸術文化活動を支えるためにも、取り行われた、もしくは執り行われようとしていたプログラムの再検証が予想される。そのための幅広いアーカイブ作成のためにも、投稿型の動画は必要である。






ちなみに上記【必要性】での「美術館の今後、現代アートの様相、生き残るためには…」というのは、下記の考えを元にしています。



 【美術館の今後について】


  日本の美術史を作っているのは、東京都現代美術館や国立近代美術館など中枢となるような美術館に収蔵される作品、作家によるものがほとんどであった。しかしそれは戦時中による戦災を免れたからという理由と、東京が主な国際的なハブとしての機能を有する唯一の場所であったことなどが関係しているだろう。

  昨今のインターネットの発展によって、情報のインプット、アウトプットが場所によらずいつでもどこでも可能となったことから考えると、そのハブの基本的な機能はもはや世界各地どこでも可能となったといえる。地方の美術館の収蔵品は地元の優れた作家が、その死後寄贈されたものが多く保管されており、そういった意味で地方のアーカイブが全国の公立美術館ならば  60   年ほどの美術史として残されていると言える。その理由は経済低迷による資金不足によるものでもあるが、これらの現状から考えると地方美術館が生き残る術は、そういった地方の作品、作家にフォーカスを当てたものにシフトしていく必要があるだろう。

 これら地方へのフォーカスは肯定的に捉えられる。それは日本国内における地方と言う位置づけと同じように世界におけるアジアの位置付けと比例するからである。つまりこれまで西洋文化に対し東洋文化、殊にアジア文化における劣等感は、その西洋文化を基準とした価値観の中で明らかに存在していただろう。しかしそれは、情報化による流動的で共有性の高い社会の発生と、地方に残るアーカイブの存在がアジア圏の文化の新たな価値づけによる隆盛をもたらす可能性がまだまだ残されているということである。日本においても東京の美術館、作品、作家が重要視される日本美術史だけではなく、地方に存在する数々の作品、作家における新たな価値づけの中に可能性があると共に、それは必然的に地方美術 館がとる行動として必要なこととなってくる。資本主義を改めて見直していくことになる今後の世界情勢とリンクするように。美術界が先駆けて、このアジアにおける価値の発言を行う時流にある。





以上の内容は、 2015年4月11日の 『他人の時間展』オープニング記念フォーラム「いま、アジアの美術館活動を考える」での内容や、美術手帖2015年3月号のスペシャルトーク対談、長谷川祐子×片岡真実「オルターモダンからモダニズムズへ」の中でも大方語られています。


 こういったことを考えると、ますます必要性を感じずにはいられないのですね。

静岡県立美術館のWebサイトにある第三者評価委員会の報告でも、広報やメディアの活用といった所にはかなり指摘がされていましたし。

 しかし僕だけではこれを現実化させるまでの力はありません。

ここで語っている言葉や内容にも、自分でもまだまだ考えなければならないことはたくさんあります。

 それでもこういうことがしたい、こういうものが必要なんじゃないだろうか、と恥ずかしげもなく声を上げていくことに、僕は僕らしさを感じるのです。


 こんなに知識や技術もない僕ですが、もしかしたらこうして声を上げていることを誰かが見つけて、実現化へ導いてくれるのではないだろうかと思うのです。


 それはただ願うだけではかないません。受け身では何も変わりません。

だから僕はたとえ恥さらしだったとしても、行動をしていこうと思うのです。

2016年6月13日月曜日

【アート】「仮設」を探る。

ここ最近の制作は、まさしく「仮設」を探るための検証方法であったようだ。

それは僕の唱える支持体論の根幹を成す部分の、あくまで意思表明の具現化とも言えるだろう。
それらは僕が提示したい主内容そのものではなかったようだ。
 
例えば≪ Spread n-1 (a,a’) ≫(題名を当初より一部改変)は、仮でもあり本質でもありうるこの世界に、あえて仮に表すことを具現化した作品といえる。
その素材にはカメラとプロジェクターというインプット、アウトプットが視覚的であることにこだわり、視覚芸術としての美術の内であることに基づいている。


 
あとは方法論として提示した『 X=r-r0 』変位を用いた絵画としての≪ n=r0 の変位体 r ≫。
または、まだ表明していない制作計画『n次元における仮設法』。これは写真、デジタル写真、クラウドから落とした映像を順に提示して、それぞれを≪1次仮設法≫、≪2次仮設法≫、≪3次仮設法≫とし、低次元化している現象に言及したものである。
これらは意思表明に留まらず、「仮設」を具体的に探っていく検証であったようだ。
 
つまり以上はこうして言葉で表明できているため、正直言って作品を作る行為は、自分が次の段階へ制作を行うための感覚の確認作業以外に、他者にとっては必要ないのかもしれない。一連の制作展を開催した際の作家の制作の流れを知る手がかり以外には。
 
この次の段階への糸口が何かしらつかめてきたかもしれない。
それは「仮設であり本質でもあるこの世界へ、明らかに仮設することで、この世界の拡大がなされる」ということである。
 
少し質的な意味は変わってくるが、 AR (拡張現実)や楽天技術研究所が提唱するサードリアリティに似ているのかもしれない。
だがしかしそこに僕の求める芸術的な行為は含まれないのであるから、当たり前であるがそれがしたいのではない。
 
例えばn+1次元を仮定した状態での作品 A は、それを作家が作家のいるn次元へ具現化した時点で A ではなく A’ という仮の姿での発露となる。
 
そしてその A’ という作品がn次元へ現れた際、その何らかのn次元世界への作用は作家の理解を超えたところで、その実在状況と仮設状況とが侵食しあいながら全く別のありようとして生き続けるのである。
 
これはn次元に生きる人間の作家、つまり僕でなければ起こしえぬものであろう。
 
70年代、制作におけるプランニングは否定され、その実際的な在りようが追及された。
しかしその在りようということには、正直限界が来ているのではないだろうか。
ありとあらゆる表現手法や素材などの越境が成され、アートは社会との結実の中に活路を模索しているようにも見える。
 
しかし僕はそうではなく、この頭が痛くなるようなこねくり回して考えるような論議と、そのパラレルとして存在する作品制作という方法を持って、実在論的に芸術をしていきたいと願うのだ。